プロジェクト AQUA:AI エージェントが量子コンピュータで暗号鍵を復元する
geoAlpine LLCではProject AQUA(Autonomous Quantum cryptanalysis Agent) を進めています。Anthropic社の大規模言語モデル「Claude」を自律エージェントとして用い、IBM Quantumの実機上で楕円曲線暗号(ECDLP)の鍵復元を段階的に検証していく研究プロジェクトです。
本記事では、現時点の成果と技術的工夫、そして「この研究が主張すること/しないこと」を率直にご紹介します。

結論先出し:22-bit 鍵を実機で復元
IBM Quantum ibm_fez(Heron r2 プロセッサ、156 qubits)上で 22-bit の楕円曲線暗号秘密鍵 d = 1,999,171 を復元 しました。これは、Project Eleven 主催の Q-Day Prize Round 1 を 2026 年 4 月に受賞した Steve Lelli 氏の15-bit 提出から アルゴリズム的に +7 ステップ、同氏の最も詳細に文書化された 17-bit (m=16) 結果からも +6 ステップ 大きい問題サイズで、現時点で公開されている同種の実機鍵復元としては最大規模です。
| 項目 | 値 |
|---|---|
| 復元した秘密鍵 d | 1,999,171 |
| 量子ビット数 | 73 qubits |
| 2 量子ビットゲート数 | 124,422 |
| ショット数 | 35,000 |
| バックエンド | IBM Quantum ibm_fez |
| ジョブ ID | d7o5mr62jamc73bp87eg |
19-bit(d = 36,124)でも独立に検証済みです。
何を解いているのか
Bitcoin は secp256k1という楕円曲線を使った電子署名(ECDSA)で、保有者だけが資金を動かせる仕組みを実現しています。秘密鍵 d から公開鍵Q = d·G を計算するのは簡単ですが、Q から d を逆算する問題(楕円曲線離散対数問題 / ECDLP)は古典計算機では非現実的に困難——というのが Bitcoin のセキュリティの根拠です。
量子コンピュータ上の Shor アルゴリズム はこの ECDLP を理論上は多項式時間で解けますが、Bitcoin が使う 256-bit鍵を破るには 数千万量子ビット級の誤り訂正された量子計算機 が必要で、現時点では遥かに届きません。
そこで Project Eleven の Q-Day Prize は、Bitcoin と同じ曲線方程式 y² = x³ + 7 を保ちつつ、素数 pを縮小した「ミニ版 Bitcoin」のチャレンジを段階的に提示し、いまの実機がどこまで届くかを公開競技にしています。AQUA
はこのラダーに挑戦する研究プロジェクトです。

図1 説明: 横軸を曲線サイズ(ビット数)、縦軸を計算困難度(対数スケール)として、4-bit / 19-bit / 22-bit / 256-bit (Bitcoin) を並べたもの。
技術的特徴:3つの差別化軸
1. Lelli 結果の独立再現
Lelli 氏の論文・コードを直接参照せず、Shor for ECDLP を一から再実装しました。同じ IBM Quantumバックエンドで動かしたところ 2 量子ビットゲート数が一致し、結果の再現性を相互検証できる状態にあります。
2. Adaptive Counting Precision(適応的計数精度)
Shor アルゴリズムは「計数レジスタ」と「点レジスタ」という2つの量子レジスタを使いますが、教科書的には計数レジスタ幅t を群位数 n のビット長 m と同じに取ります。AQUA では t < m に 大胆に縮小しても検証フィルタが機能することを示し、回路深度を大幅に削減しました(22-bit で t=12、深さは Lelli比で大幅減)。

図3 — IBM Quantum ibm_fez で実行した3つの本番ジョブの実機リソース比較。Lelli 氏 17-bit (m=16, 教科書通り t=m) とAQUA の 19-bit / 22-bit (どちらも採用値 t=12) を並べた。AQUA は 19-bit で Lelli 17-bit より少ない量子ビット数 /2Q ゲート数を実現し、22-bit でも +1 step の問題サイズ拡大に対して 2Q ゲート増加を抑え込んでいる。
3. AI エージェントによるエンドツーエンド自律実行
ここが AQUA の最大の差別化軸です。文献調査、Shor アルゴリズムの実装、デバッグ、IBM Quantum へのジョブ投入、結果解析、そして本記事を含む執筆まで、すべてを Claude が自律的に実行 しています。人間オペレータ
の役割は「方向性の選択肢から1つを選ぶ」「量子計算機の予算消費を承認する」の2点に限られています。
エージェントの実行記録は、リポジトリのAGENT.md に時系列で残されています。

図3 説明: 「研究ゴール提示 → 文献調査 → 実装 → デバッグ → 実機投入 → 結果解析 → 執筆」のフローチャート。各ステップを Claude が実行、人間が「Go/No-Go 承認」する
正直な評価:NISQ 領域での「鍵復元」とは何か
ここは AQUA が他の同種研究と最も差別化されている部分です。現時点の量子コンピュータ(NISQ 世代)における ECDLP 鍵復元は、量子信号によるピーク検出ではなく、検証フィルタによる候補選別 であることを定量的に検証しました。
具体的には、19-bit t=12 で復元できた1ヒットを 理想ノイズなし分布の上に位置付ける解析を行い、そのヒットが分布の「ピーク」ではなく「谷」付近に位置していたことを示しました。続けてt=14(理想ピークがより鋭くなる設定)に切り替えたところ、ヒット率は逆に 減少しました——本物の量子信号が寄与していれば増えるはずの設定で減るという結果は、量子寄与がほぼ無いことの定量証拠です。

図5 — 19-bit 鍵 d = 36,124を実機で1回ヒットしたときの「ヒットが落ちた位置の確率」を、量子ノイズが一切無いと仮定した理想 Shor分布上に重ねたもの。理想ピーク(青)は一様乱数の 64 倍、ヒット位置(橙)は逆に一様の 0.081 倍 ──ピークではなく谷に着地している。
この観測は AQUA の 22-bit 結果のみならず、Lelli 氏の Q-Day Prize Round-1 受賞 15-bit 結果を含む同種のすべての公開結果に等しく当てはまる事実 で、現時点の実機量子暗号解析の本質を示すものです。
この研究が主張すること/しないこと
主張すること
- AI エージェントが量子暗号解析パイプラインを最初から最後まで自律実行できる ことを実証した
- 現時点で 公開された ECDLP 実機鍵復元としては最大規模 (22-bit) を達成した
- 量子信号復元か検証フィルタ復元かを判別する解析枠組み を提供した 主張しないこと
- 量子優位性(quantum advantage)は 主張しません
- Bitcoin が破られたとは 主張しません——256-bit との隔たりは依然として桁違いです
- 新規 Shor アルゴリズム理論は 提案していません——既知手法の独立再実装です
公開リソース
すべて MIT ライセンスのもと公開しています。実機 counts データも同梱しているので、量子計算機を持たない方もd = 1,999,171 を手元で再現できます。
- リポジトリ:
github.com/geoAlpine/ai-quantum-cryptanalysis - ライセンス: MIT
- エージェント実行記録:
AGENT.md - 引用情報:
CITATION.cff
